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キリスト教徒3大聖地の一つ、サンティアゴ デ コンポステラは、スペイン北西部
ガリシア地方に位置します。キリスト教徒3大聖地とは、ローマ・エルサレム・そ
して、このサンティアゴ デ コンポステラを含みます。 聖地となる出来事は、9世紀の初めに起こります。 ある夜のこと、幾つもの流れ星が一定方向に落ちて行く様を羊飼い達が目撃。その方向を散策すると、地面にも光り輝く部分があり、 そこにキリスト十二使徒の一人、聖ヤコブのお墓を発見。聖ヤコブは、海を渡りイベリア半島で7年間の伝導活動をした後、パレスチナ に戻り、ヘロデスアグリッパにより迫害を受け、犠牲者の一人となります。彼の弟子達もパレスチをはなれざるをえず、聖ヤコブの遺骸 を船に乗せて再びイベリア半島に辿り着きます。漂着した場所(昔のIria Flavia,現在のPadron)は、偶然にも 聖ヤコブが最初に着いた同じ場所だったと言われています。その地に聖ヤコブを屍衣にくるみ葬ったのです。聖ヤコブ後のスペインは 他民族、他宗教の支配が長く続いたため、聖ヤコブの話もすっかり忘れられてしまっいました。その聖ヤコブの墓が9世紀の初め、 羊飼い達によって発見されたのです。地名サンティアゴ デ コンポステラの由来は、スペイン語で聖ヤコブのことをサンティアゴと 呼び、コンポステラは二つの言葉、カンポ(野原)とエストゥレージャ(星)が一つとなりコンポステラとなったといわれています。 またその他に末期ラテン語のcompostela(墓地)から来ているいう説もあります。 1175年、教皇アレキサンデル三世は、巡礼者保護を目的にサンティアゴ騎士団の規約を追認しました。7月25日は、聖ヤコブを 祭ったヤコブの日となっており、この7月25日が日曜日にあたる年を聖なるヤコブの年と呼び、この年に巡礼をした人達には特別な 「神の恵み」が与えられるとしています。今年は、その聖ヤコブの年にあたり、スペイン語では「Jacobeo(ハコベオ)99」 と読んでいます。 今世紀最後の聖ヤコブの年となるため、今年の巡礼者数は例年の巡礼者数を簡単に しのぐものと予想されています。 この巡礼を行うと巡礼証明書を受け取ることも可能です。勿論、巡礼を証明するため「巡礼友の会」に登録が必要となり、歩いた 道程で教会・市役所などの判をもらいながら巡礼を続けます。最低の道のりは100キロで$自転車でも参加可能ですが自転車の場合は 最低200キロです。この証明書には、宗教を目的としたものと、宗教とは関わらない個人的な参加のものと二つに分かれますが、 友の会に登録する時その内容を選択します。またこの巡礼のシンボルマークは、帆立貝の貝殻です。これを持って巡礼を行うため、 帆立貝を見れれば巡礼者であることがわかります。帆立貝の由来は、キリスト教徒とイスラム教徒との戦い中、キリスト教徒ピメンテルの 領主がやむを得ず海峡を泳いで渡った時、海から出てきた彼のからだが帆立貝で覆われていたことから始まります。また巡礼者には、 杖を持って歩いている人達も多く見かけます。巡礼道の道沿いには、巡礼者を収容する簡単な施設もあるため、そこで宿泊するのが 普通です。 マドリッドからサンティアゴまでは670キロですが、小生マドリッドより30キ ロは離れたある場所より巡礼を行っています。一気に歩かなければいけないという規則はありませんので、行きつ戻りつしながら 小刻みに歩くことも出来ます。私はまだ230キロしか歩いていないため470キロ残っています。目的はこの7月25日までに 聖地に着くことです。 |
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巡礼6日間の経験 5月11日から16日まで、連休明けの余暇を利用して再びサンティアゴ デコンポステラの巡礼道に挑戦しました。今回は6日間で 約190キロの道を歩き、1日30キロほど歩いた計算になります。しかし、道を間違えた部分も含めれば約210キロ歩いています。 マドリッド巡礼友の会が作ったルートに従い、以前に到達したバルデスティージャというところまでマドリッド・チャマルティン駅より 8時の電車に乗り込み、約2時間でメディナ デル カンポという乗り換え駅に到着。そこでローカル線に乗り換えるのですが、 コネクションが上手くいかず1時間10分も待たされ、目的地に着いたのは、ほぼ昼の12時です。ここから、世界でバチカンに 次ぐ歴史資料館のあるシマンカという町を抜けて、ワンバという町に着きました。ここに滞在すると決めてはおりませんでしたが、 もう既に30キロ程歩いた後であり、足も大分痛くなったため、ここの村に滞在を決定。私の判断では、きっと人口500人くらいの 小さな村でした。村の規模が規模だけに、勿論滞在施設などありません。しかし、この村の村長が今まで2度の巡礼経験者であったため、 巡礼者への理解者で泊まるところを世話してくれるという情報をキャッチ。そこで、村長経営のバルで村長が戻るまで1時間待つ ことになりました。村長は、私を村役場に連れて行き、どこでも寝れるところに寝ろということで、私は階段の踊り場に寝袋を広げて ここで一夜を明かすことになります。 翌朝6時半にはそこを出発し、その日の滞在場所メディナ デ リオセコというところまで歩き、そこでは安いペンションに滞在。 ちなみに料金は、1100ペセタ(日本円約900円)でした。今までの経験でも2日目になると、足の皮がずれ始め、しまいには 水脹れとなります。案の定、今回も同じような苦しみを味わいました。 3日目の滞在はフォンティジュエロというところまで辿りつきましたが、ここも小さな村のため滞在施設はなし。また悪いことに、 この村の人達は巡礼者を興味深く見つめるのですが理解度などまったく無し。私の足も最悪の状態のため、これ以上進むことを断念。 教会の脇にテントをはり、ここで寝ることとなりました。また、夜中に小雨が降り始めました。 次の日にはいよいよ中世から続く、本来の巡礼道にサアグンというところでドッキング。私はマドリッドからの道を選択しましたが、 昔からフランスやドイツなどからの巡礼者の道です。この巡礼道の界隈には巡礼者のための収容施設があるため、泊まるところは 今までの部分に比べれば整っています。しかし、サアグンを過ぎて10キロほど歩いたところで雨が降り出し、先を急ぐことに懸命に なっていた私は道を誤ってしまい、本線から逸脱し遠回りをするはめとなります。だが、雨のためこれより先に進のは不可能となり、 途中の村ゴルダリサ デ ピノという村で滞在。本線をそれてしまったため巡礼者収容施設がなく、ここでも村長が提供してくれた 崩れかけた村の青年館の片隅で寝袋に寝ることになります。 翌日は本線に戻り、マンシージャ デ ムラスというところで始めて巡礼者収容施設に滞在。料金300ペセタを払い2段ベットの 下の段で寝ることになりました。総収容人数40人。今年は巡礼者の数が特に多いこともありますが、土日と重なったため午後 4時には満杯となり、泊まれない人達も10人ぐらい出ました。この人達は、次の収容施設のある町まで歩くか、他の方法を 見つけなければなりません。 次の日はここから20キロの町、昔のレオン王国の首都レオンまで歩き、次の日の仕事、交通便などを考慮に入れ、レオンより 路線バスをひろいマドリッドに戻ります。家に着いたのは午後の6時半過ぎででした。このように今回の6日間の巡礼も無事に 終わりました。 |

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聖地まであとわずか 6月22日、家を出てマドリッドのパスターミナル・スル(南)駅に着いたのは、午前7時でした。 取りあえず、窓口で次のレオン行きのチケットを頼むと、窓口で次のような会話になりました。 窓口:クラスは何のクラスですか?次のスプラクラスは、8時半出発。普通のクラスは9時半出発ですが、どちらになさいますか? 滝川:私は、急ぎますので8時半のバスをお願いします。 ということで、クラスの違いも確かめずスプラクラスを購入。後で気づいたのです が、スプラクラスとは、レオンまでの途中の町には立ち寄らず直行便で、尚且つ、 サービス内容はファーストクラス。バス座席の並びは、進行方向に向かって左2席 、右1席の横3席の並び。普通のバスの配列より一席少なくゆったり型。バスの中 には、お客様アテンド要員が一人乗り込み、朝食・飲み物サービス%ビデオなどを担 当。巡礼に出かける私がこのようなクラスを利用していいのかと、さすがの滝川の 心が痛みました。でも、走り出してしまった以上、旅を続行です。ちなみに料金は 、4200ペセタ(3350円)でした。 初日目は、足慣らしと思い20キロでやめ、ビジャダンゴス デ パラモという町の巡礼者施設に滞在しました。そこで、自転車で旅をするバルセロ ナの人と一緒になり、話をしていると、「今日は70キロ走った。股の筋肉が痛 いね。もう、2度と自転車には乗らないぞと何時も思うけど、一夜過ぎると痛みも 癒えて、明日、また乗ってしまうんだ。ハハハ・・・。」と言っていました。この 気持ちは、徒歩の人も、自転車の人も一緒だと私は痛感します。 4日目、5日目には、さくらんぼの地帯を抜けました。朝の6時から歩き始めると 、10時から11時頃には喉が渇き始めます。この状況の中で歩いていると、考え ることは皆同じ。どうしても自ずとさくらんぼの木に手が伸びてしまいます。滝川 も同じ事をしようと思いましたが、実は手の届く高さのさくらんぼは、ほとんどあ りませんでした。滝川は出遅れたのです。今度来る時は、6月上旬にします(滝川 は何を考えているのでしょう?)。 5日目に漸くレオン地方からガリシア地方に入りました。この日はセブレイロとい う峠の町に滞在しましたが、標高1099メートルの高さで東を見ればレオン地方 、西を見ればガリシア地方が見えるという地の利です。ガリシアに入ると、さすが 巡礼の本場、レオン地方の巡礼者施設は、場所によって300,400,500ペ セタでしたが、ここからは無料でした。 6日目は朝から雨模様。ガリシア地方は、スペインで一番雨の多い地方ですので、 前日の空模様から少しは心配はしておりましたが、案の定、雨でした。雨の身支度 を整え、雨の中を巡礼開始。この日は、どうしてもマドリッドと交通便のよい場所 まで進みたかったため、39キロの山道です。昼食の時間を入れると、サリアとい う所の施設まで約10時間かかりました。その内の少なくとも5時間は雨の中を歩 いたため、身体も服も雨と汗でぬれています。しかし、サリアの施設は残念ながら 満杯、その日の夜行でマドリッドに帰ること決定。シャワーだけは浴びさせてもら い、その後国鉄駅に直行。時間表を調べて、23時36分の2等寝台のチケットを 一枚購入(今度は、ちゃんと2等です)。実は、この駅に止まる長距離列車は、1 日の内、この夜行列車だけでした。この列車で8時45分にマドリッドチャマルテ ィン駅に到着し、今回も6日間の巡礼が無事に終わりました。 次回は、サンティアゴまで歩きます。残り111,5キロです。 |
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| 巡礼地へ あと100キロ | 疲れて木陰で休む 巡礼者 | 巡礼者収容施設がいっぱいで ベットがなく、 施設裏にテントを張って 一夜を過ごす滝川 | サンティアゴの大聖堂前で 到着を喜ぶ滝川 |
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聖地へ 7月4日、マドリッドよりサリアまで夜行列車で北上。サリア到着翌朝6時20分、再び巡礼開始です。今回は、休暇が 3日間しか出来なかったことと、7月25日前には到着という目的を遂行するために、多少強行軍でしたが3日で 111,5キロを歩ききりました。 歩き始めてから706キロの道程を25日間かけて歩ききり、7月8日の午後3時にはサンティアゴの大聖堂前に立ちました。 これで私の巡礼の旅は終わりです。 写真は少しずつ送ります。今回は写真と巡礼者証明書を送ります。 |
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| 巡礼者証明書 | 巡礼者を導く黄色の道標 | 巡礼道で一番見かけた花 |
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